旅行記:常陸太田・奥久慈(その5)謎町 常陸太田

常陸太田・奥久慈 旅行記(その5)です。2010年4月24-25日の記録です。

今回の旅でおどろいたのが、常陸太田市街です。
その驚きを解説しましょう。
中心地から少し離れた宿にチェックインした我々は、町を歩くことにしました。

阿武隈山系の南端に位置する常陸太田の旧い街は「鯨ヶ丘」と呼ばれる丘の上にあります。
普通、丘の上は防衛的な意味や、水はけの意味がなければ街づくりには適さないです。
水を得るのが難しいからです。
しかし、この鯨ガ丘には「太田七井」と呼ばれる井戸があり水に困らなかったようです。

常陸太田 鯨ヶ丘 灯篭
「鯨ヶ丘」灯篭

常陸太田 新市街の眺め
宿の窓から新市街を望みました。
昔は田んぼだったそうです。
向こうの丘の上には新しい住宅地が見えます。

常陸太田 中心街から少し離れた宮田書店前からの眺め
宿から少し歩いて、古い感じの町並みだな~なんて思いつつ歩きます。
偶然入った「宮田書店」にまず驚き。
店内が昭和初期なんじゃないの?というくらいの本棚。そしてその少ない在庫量。
どうやら教科書を専売していることで、商売が成り立っているらしいのですが、そのことが超レトロな店内を保存していたのでした。

常陸太田 十王坂
十王坂。絵になる場所です。

常陸太田商店街(東通)
かつて商業の中心街だった東通。

常陸太田 蔵

常陸太田 蔵
驚くのが蔵の多さと立派さ。かなり栄えた町であったことは間違いありません。

常陸太田 郷土資料館分館
かつて銀行だった建物。いまでは郷土資料館分館。
西通は行政と金融の中心だったようです。

P1120535_R.jpg
郷土資料館分館のとなりにある、この建物もかつての銀行。
現在、左が東京に本店があるフランス料理屋さん。右が竜神峡に本店があるお蕎麦屋さんとなっています。
この狭い町に銀行が何軒も軒を連ねていました。

常陸太田 梅津会館(旧市庁舎)
旧町役場。北海道に出て財を成した人物が寄贈したのだそう。

常陸太田 薬屋の看板
和田薬局の看板。

このように、繁栄と文化を感じさせる町並みが残っています。
この繁栄を支えたもの、それは、「たばこ」でした。

常陸太田 たばこ専売公社跡地(日本たばこ産業)
たばこ専売公社跡地です。

この近辺は、江戸時代から「水府たばこ」と呼ばれるたばこの産地でした。
たばこを出荷する秋になると、ここにたばこが集積されました。
その賑わいは大変なものだった、と町の人が話してくれました。

こんな町並みが無名のままのこっているのは奇跡に近いです。
ただ、なんとな~く観光地にならなかった理由が分かる気がします。
雰囲気が「お堅い」のです、なんとなく。

なんといっても飲食店がないのです。特にお酒に関わるものがありません。酒屋すら中心街にないのです。
醤油屋や味噌屋(大豆の産地だったこともうかがえます)があるのに、造り酒屋はない・・・
飲食店はほとんど最近出来たと思われる店ばかり、バーにすら「食堂」の名前がついている。
どうも、夜遊びやお酒を避ける精神性がこの街の人々にあるように感じました。

普通、こういった街には、山から商売に出てきた人が羽目をはずす一角があるものです。
東京、浅草はその一例です。
絹が外貨獲得の有効な手段だった時代、絹の産地である北関東から出てきた人々が遊んでいったのが発展の理由となっています。

しかし、常陸太田にはそれがない。
理由はやはり、たばこにある気がします。

たばこは、政府が管理するものです。
葉一枚から管理されていたと聞きます。

そういった背景が、この町の「お堅い」な精神風土を培ったように思えます。
観光地としては、「楽しげ」ではないのです・・・。

ちなみに、いま、ここの名物となっている蕎麦も、たばこの裏作として推奨されたのが始まりと聞きます。
常陸太田はいまでも「たばこの町」なのかもしれません。

旅行記:常陸太田・奥久慈(その8)鍋屋菓子舗
旅行記:常陸太田・奥久慈(その7)慈久庵鯨荘 塩町館
旅行記:常陸太田・奥久慈(その6)竜神峡鯉のぼりまつり
旅行記:常陸太田・奥久慈(その5)謎町 常陸太田
旅行記:常陸太田・奥久慈(その4)奥久慈軍鶏 弥満喜
旅行記:常陸太田・奥久慈(その3)袋田の滝
旅行記:常陸太田・奥久慈(その2)泉福寺の枝垂桜
旅行記:常陸太田・奥久慈(その1)プロローグ

テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行

プロフィール

なお

Author:なお
いいトシしてバイクの免許を取得。
相棒はDUCATI MONSTER696とHONDA solo。
バイク以外の趣味はお菓子作り。
MtXです。

Twitter on FC2
カテゴリ
検索フォーム
リンク
月別アーカイブ
広告1
広告2