とんかつを食べながら考えた(宮崎駿監督作品「風立ちぬ」感想)

引退宣言をした宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観てから憂鬱だったりします。
素晴らしい作品だけど、爽快な気分になる人はあまりいないのではないではないでしょうか。
これまでとの作品とは明らかに違います。
子供向けの作品ではないですし。
この作品は、監督の「最後だから本音を言っちゃうよ」という作品なのだと思います。

その本音のひとつが、「選ばれた人間しか美しいものを生み出せない。凡夫はそのための犠牲になる(こともある)」という考えなのだと思います。
そしてそれは、これは考えすぎかもしれませんが、「特定階層や選ばれた人間が継続的に支配する社会の方が素晴らしい」ということに繋がる気がするのです。それの良い悪いは別として。

理想の飛行機を追求するために、戦争すら利用する主人公。
夢の中の同志である、カプローニ伯爵と最後にこんな感じのやりとりをします。
「君の10年はどうだったかね。力を尽くしたかね。」
「はい。最後はめちゃくちゃでしたが」
「国を亡ぼしたんだからな。あれが君のゼロか。良い仕事だ」
「一機も帰ってきませんでした。」
(ゼロ戦のパイロットが主人公に敬礼し、主人公は手を振って返す。ゼロ戦の編隊が飛行機の天国or墓場(「紅の豚」にもでてきたもの)へ上昇していく)

主人公は、幼いころから飛行機が戦争に使われるであろう、呪われた芸術品であることを理解する秀才です。
彼は、温和に見える親切な青年ですが、作中でも上司から問われるくらいに、相当のエゴイストです。

裕福な家庭に生まれ、厳しい時代の波にもまれながらも、経済恐慌も、不穏な社会情勢にも無縁です。
自らの能力の高さを認識し、それが求められていることも理解しています。なので組織においても自由に活動でき、最高の環境を手に入れます。
幸村誠さんの「プラネテス」を読んだ方にはわかると思いますが、ロックスミス博士と同じタイプの人間です。あそこまで開き直っておらず、確信的天然さんで、周りから好かれますが。
遠くからくる妹の来訪すら覚えていないくらいに仕事に没頭します。妹は常に薄情だと彼に言います。
運命の出会いを経てめとった妻は、余命いくばくもなく、仕事に没頭しつつ、わずかな、ほんのわずかな人生の一部分だけを一緒に過ごします。
病気でこれ以上は足手まといになることと、やつれた姿を見せたくない妻は、山のサナトリウムへ帰ります。
それから彼女は亡くなります。

細く長い穏やかな人生ではなく、苛烈なまでに愛と仕事を追求する主人公は、モデルの堀越二郎技師ではなく、宮崎氏自身の姿でしょう。(何年か前にこの作品を「自伝的」と言っていたのを思い出しました)
そして、これまでの子どもが楽しめる作品ではなく、恋愛映画に見せかけて、人間の罪と功績と、自分の美学を伝えようとした作品なのだと思います。

映画の中でカプロニおじさんが、こんな感じのことを云っています。
「君はピラミッドのある世界とない世界ではどっちが良い。私はピラミッドのある方が良い」
突然に出てくるピラミッドという単語。これは社会ヒエラルキーのことだと気づいたのは、実は観終わったあとでした。
つまり、平等な社会より、自分たち選ばれた人間が活躍できる社会の方がよい、ということです。

この作品で、庶民はほとんど出てきません。主人公をはじめ、まわりは恵まれた人、裕福な人です。
庶民は、恐慌のため仕事を探すために都会へ歩いて出て行き、倒産した銀行に群がりますが、主人公には無縁なことです。

そして、印象的だったのが、主人公がお菓子を子供に与えようとするシーン。
遅くまで働いた主人公は、閉まる寸前のパン屋でお菓子を買います。
店の隣では、街灯の下で、幼い姉弟が、帰りの遅い両親を待っています。
それを見た主人公は、「これを食べなさい」というようなことを云ってお菓子を差し出します。
しかし、食べたそうにする弟の手を引っ張って、姉は走って逃げて行きます。

そりゃそうです。彼らは乞食ではありません。でも主人公に悪気はありません。彼はそういう人なのです。
だから、「そんな子どもはたくさんいるんだ」「俺たちの作る飛行機の制作費などで、どれだけの子どもの腹を満たせるかわかっているのか」というような言葉で、親友(同僚)からたしなめられます。

私は、このシーンで、子供のためにアニメを作ってきた監督の化身が子供に逃げられるということが、監督が感じている作品と受け手(観客)との距離を暗示しているような気がしたのでした。

きっと、恐らく、私が思うに、かつて社会主義者であった宮崎監督は、愚かな我々凡夫に失望しています。
そして、美しく気品に満ちた昔の社会、とりわけ彼が幼少時代に所属した富裕層の世界に、心の救いを求めているように思います。
それは、一部の支配層が社会を動かす世の中です。

もしくは、そういう世の中が来るぞ覚悟しろ、というメッセージなのかもしれません。
確かに、民主主義の限界を私も感じています。

そういえば、市民生活を描いていた小津安二郎監督が、晩年になって上流階級を描くようになったのとかぶる気がします。
それは小津監督が愛した日本の美学が、戦後の庶民から失われたからだと考えています。
宮崎監督もそうなのかもしれません。


「思い出したぜ お前は 百年前のあいつに似ているんだ
 若い頃 やつは本物の慈悲深い名君だったよ 土民の平安を心底願っていた
 だがそれも せいぜい最初の二十年さ いつまでも愚かなままの土民を やがて憎むようになった」

「風の谷のナウシカ」で、ナウシカと皇兄ナムリスとの決闘のとき、ナムリスがクーデターで奪った国を支配していた皇弟ミラルパを語った台詞です。
宮崎監督の心境だったのかもしれません。
ナウシカは宮崎監督でありますが、ミラルパもナムリスもまた宮崎監督なのでしょう。


以上、私の考えすぎなのかもしれませんが、そんな感じで何とも言えない低空飛行な気分でした。
素晴らしい作品であることは変わらないですけどね。
でも、昨日、バイク仲間ととんかつを食べながらやっと、「ふざけんな、凡夫なめるな~!」と思えるようになりました。

注:台詞はうろ覚えですので、あまりあてにしないでください。













テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

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金字塔

いつも拝読させていただいております。
わたしは「ピラミッド」のセリフは「金字塔」であると
解釈しました。この世に残していく作品のことであると。
次郎さんは飛行機。駿さんはアニメ映画。
社会ヒエラルキであると解釈すると重いですね…。

一つこのことを、すべてを犠牲にして愛せるのが天才。
その消費期限は10年…。
ショッキングなセリフですが、雑多なものを愛せる私の
ような凡夫は、その限りにあらずかと思います。
次から次へと花から花へ、興味の移ろい行くままに。10
年はその区切りに過ぎないと思います。

季節の変わり目、骨が完全にくっつくまでご自愛ください。

Re: 金字塔

> 遊性 さん
ありがとうございます。
私も最初はそんな理解をしたのですが、宮崎監督はそんな言い回しをしないだろうな、と思い、考えた結果、こういう感想になりました。
私も、民主主義が機能不全に陥ったあとの世界を考えます。
結局、監督の望む世界が一番効率的なのかもしれません。

「ナウシカ」から「紅の豚」までだいたい10年です。
紅の豚を作っているときに東欧崩壊があり、監督の理想は崩れたみたいです。
それで行き着いた思想でできたのが、マンガ版ナウシカの最後であり、その思想をアニメ化したのが「もののけ姫」だと思います。ちなみに、「紅の豚」から「もののけ姫」まで5年もかかっています。
きっと、監督が考える自分の10年は、「ナウシカ」から「紅の豚」までなのではないでしょうか。
自分の理想を伝えることに熱心で在れた幸せな10年です。
おそらく、それ以降は作品ごとのテーマを考えるのに暗中模索だったのではないかと思います。

天才じゃなければ、10年も20年も関係ないですよね~。
その日生きるのが精いっぱいです。
プロフィール

なお

Author:なお
いいトシしてバイクの免許を取得。
相棒はDUCATI MONSTER696とHONDA solo。
バイク以外の趣味はお菓子作り。
MtXです。

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