「絶望」という劇薬の取り扱いについて(「アルドノア・ゼロ」)

撮りためたアニメやドラマとかを観てたりします。
録画しても観る時間がなくて、ほとんど消去していたのですが、アニメ「アルドノア・ゼロ」(http://www.aldnoahzero.com/)は、大好きなマンガ家の志村貴子さんがキャラクターデザイン案を出しているとのことで残してありました。



観てみると、キャラクターについては、志村さんデザインといえど、やっぱり志村さんの線ではないので、これまでのアニメになった志村さん原作の作品に興味がなかったように、そこはどうでもよくなってしまいました。

やっぱり志村さんの魅力は線とお話の繊細さですね。

というわけで、「アルドノア・ゼロ」について、正直なところ内容は期待していなかったのですが、予想に反してとても印象に残ったので、感想をメモしておきたいです。

<あらすじ>
火星に移住した人類は、そこにあった遺跡からオーバーテクノロジー「アルドノア」を入手。
地球文明を超える力を手に入れ、封建制の帝国を作り、その強大な力をもってして、地球へ侵略戦争を開始したが、すぐに休戦となる。
それから15年後、和平を目的として火星の王女が地球に降り立った。
戦争は終わると思われたその時、王女の暗殺事件が勃発。戦争が再開してしまう。
実は、この暗殺事件は火星の開戦派による陰謀だった。
しかし、王女は生きていた。
戦闘に巻き込まれ、逃げ遅れた高校生のイナホは、身分を隠して生き延びていた王女と出逢う。
イナホと王女は逃げ遅れた人々と合流、生き残るための闘いが始まる。

<感想(ネタバレあります)>
■黒富野系統?
富野由悠季監督「機動戦士ガンダム」は、戦争に巻き込まれた少年少女が生き延びるために戦いながら旅をするお話でしたが、この「アルドノア・ゼロ」も基本的に、その内容です。
お互い、「火星人」「地球人」と差別しあっていますが、“人間 対 人間”の戦争であることも同じ。
メカギミック演出はあるのだけれど、あまりそれを見せたいわけではなさそうなのも、富野作品と同じ。
そして、いわゆる「イデオン」や「ザンボット3」といった“黒富野”作品に似ているところを感じました。
人間の暗黒面をテーマとしている点で、です。

■「ガンダム」と違うところ
ロボットアニメ、特にガンダムは、「少年がガンダムという戦争を変える強大な力を持って、活躍、成長する(そしてほとんどダメになる)」というのが、基本的なお話です。
でも、この作品で、主人公が操るロボットは、火星のロボットと比較して圧倒的に弱いです。
その弱さを、どうやって乗り越えるのか、つまり文字通り「ジャイアントキリング」が見どころのひとつであり、主人公、イナホの魅力が光る部分でもあります。
・・・正直、イナホの考える作戦は甘いというか、科学考証も浅いというか、もうちょっと製作側にがんばって欲しかったと思うのですが・・・まあ、そこはおいておきます。

またイナホはかなり完成された人物で、心の奥に熱いものを持っていますが、常に冷静沈着で判断が鈍ることがありません。
成長物語ではないところもガンダムとは違います。

■2人の主人公
実はもう一人の主人公がいます。スレインといいます。
火星に移住した地球側の人間ですが、地球人として火星の人々から蔑まれ、屈辱の日々を送っています。
しかし、そんな彼に親しくしてくれた王女愛しさゆえに、彼女を救おうと、策略溢れる火星側の中にあって独り奮闘します。
彼の強い意志と行動力、その運命も見どころのひとつです。

■差別とは
この作品で、印象的なのが差別です。
同じ人間なのに、「火星人」「地球人」と罵り合います。
特に火星側のそれは、体制を維持するために政策として人々の心に植え付けられたものであることが明かされます。
現実世界の、日本のお隣の国々と同じことです。世相を反映しているな、と思います。
そして、それに気づいた火星側のザーツバルム伯爵が、帝国への復讐と反逆として行ったのが、王女暗殺事件でした。
本当に火星の民の苦労を思うなら、死んだ婚約者の無念を思うなら、ザーツバルムはもっとよい選択ができたはずです。
しかし、恨みに心を支配されて、滅ぶための闘いに身を投じたのでした。

最後、瀕死のザーツバルムは、王女を撃ちます。
そんなザーツバルムをスレインは撃ちます。
しかし、とどめをさせずに、スレインの拳銃はジャムります(動作不良)。
「ここを撃て」と自分の額を指さす、死にたがりのザーツバルム。

ジャムったことになっていますが、スレインの心根は、ザーツバルムの悲劇と本心を知ったうえでとどめをさせなかったのだと思っています。

■男と女
最後、瀕死の重傷の身体を引きずって、王女の亡骸に這い寄るイナホを、スレインはあっさり射殺します。
ザーツバルムを撃てなかったのに。

一方のイナホも、スレインに対し「お前は敵だ」と言い切っていました。
火星人だからと、差別はしないイナホがです。

この作品は、一人の女を奪い合う男と男の闘いの物語だったのでした。
その真のテーマが、イナホとスレインの瞬間的な邂逅で達成されるところが、この作品のすごさだと思いました。

王女はその純粋さで平和を願いました。
しかし、それが逆に戦火を拡大し、たくさんの人が傷つき、死にました。
そう、純粋に平和を願うだけでは、平和は達成できないのが現実なのです。
それでも、二人の若くて真の強さを持った男達が私情を捨てて大義のために王女と手を組んだのならば、もしかしたら王女の願いを達成できたかもしれません。
でも、男の本能は殺し合いを選びました。
男と女がいる限り、戦争はなくならない、ということだと私は解釈しています。

■「絶望」という劇薬の取り扱い
というわけで、すごい話だと思ったら、ストーリー原案(おそらくプロットでしょう)と一部脚本が虚淵玄(うろぶちげん)さんという方で、「魔法少女まどか☆マギカ」の脚本を書いた人だと聞いて頷きました。
この方は、絶望の扱い方がうまいです。うますぎます。

「新世紀エヴァンゲリオン」以降、一時、私が“エヴァコンプレックス”と呼んでいる、「絶望インフレ」が起きました。
もういいかげんにしてくれよ、というくらい、安易に絶望を取り扱う傾向に私は嫌気がさしました。
絶望は、その裏に大きな真意を与えなければ、“ほんとうにただの絶望”です。

でも、「魔法少女まどか☆マギカ」は絶望を大きな希望へのスイッチとして描きました。
「アルドノア・ゼロ」は、なかなか言えない人間の真実を絶望に託しました。
最後の最後まで、カタルシスを持ってこなかったところは、両作品とも一緒ですね。

ただ、私の考えと同じ感想を持つ人は少ないかもしれません。









テーマ : 感想
ジャンル : アニメ・コミック

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

なお

Author:なお
いいトシしてバイクの免許を取得。
相棒はDUCATI MONSTER696とHONDA solo。
バイク以外の趣味はお菓子作り。
MtXです。

Twitter on FC2
カテゴリ
検索フォーム
リンク
月別アーカイブ
広告1
広告2