浜松市博物館「ライラックの軌跡展」より(その2)

浜松市博物館「ライラックの軌跡展」より(その1)の続きです。

【ライラック サンキューAQ】1955年 125cc
150920ライラックの軌跡展
アールズ式のフロントフォークにエンジン吊り下げ式のフレーム。スイングアーム式のリアサスペンション。
フロントのブレーキドラムの小ささがちょっと気になりますが、まだ煮詰め不足のドラゴンやランサーSWのような大きな排気量の車種と違い、小排気量車は各所に洗練が進んでいる感じがします。

【ライラックBR】1957年 175cc
150920ライラックの軌跡展
AQの後継機だそうです。
プレス加工のフレームにボトムリンク式のフロントサスペンション。

【ライラック UY2】1957年 242.2cc
150920ライラックの軌跡展
SYの後継にあたる車種です。

【ニューベビーライラックDP】1958年 86.7cc
150920ライラックの軌跡展
ベビーライラックの後継機として登場。
「自転車よりも手軽」という謳い文句で、かつてと同じようなヒット作を期待されたが、さっぱり売れず。丸正自動車製造の経営を傾けたそうです。
ライラック初の2ストロ-クエンジンに、斬新なフレーム構造。
開発陣のがんばりが目に浮かびますが、このクラスのバイクはまだまだ荷物を運ぶことが優先とされていた時代で、ニーズに合致していなかったようです。

またこれの排気量拡大版としてEN-1、EN-2があり、なかなかに美しいバイクなのですが、こちらも時代の先を行き過ぎたようです。
デザインには工業デザイナー秋岡芳夫さん率いるKAK(キャック)が関わっていたらしいです。
他の車種にも関わっていたらしいのだけれど、どの車種にどれくらいかは不明です。

【ライラックLS38 ランサーマークV】1959年 247.2cc
150920ライラックの軌跡展
ライラックは1959年に新型の縦置きV型エンジンを搭載した、LS18(247.2cc)、CS28(124cc)、そしてこのLS38を販売開始しました。
特にこのLS38はフラッグシップモデルの称号「ランサー」を冠し、ビジネスモデルではなく趣味性を高めたデザインとなっています。
恐らく、ランサーマークVのみならず、ライラックののあか抜けたカラーリングはKAKのアイデアだと思うのです。

150920ライラックの軌跡展
カラーリングやデザインに、ライラックとしての独自性が高まった印象を受けます。

150920ライラックの軌跡展
セルモーターも装備されていました。

150920ライラックの軌跡展
ちなみにホンダはこの年、初めて「CB」の名をつけた、ベンリィ CB92 スーパースポーツ(124.67cc)を発売しました。
見た目からしてホンダらしいエンジンの精度の高さがうかがい知れるCB92ですが、ランサーマークVのデザインは現代に通じるものがあります。
この年、ホンダはマン島TTレースに初出場しています。

150920ライラックの軌跡展
ちなみにエンジンの参考にしたと思われるのは、Victoria V35 Bergmeister(1953年 347cc)というドイツのバイクです。

【ライラックLS18-2】1960年 247.2cc
150920ライラックの軌跡展
1961年(昭和36年)、丸正自動車製造は倒産します。
しかし、最後までモデルチェンジを続けました。

【ライラックCF40】1960年 124.6cc
150920ライラックの軌跡展

【ライラックC81】1960年 124.6cc
150920ライラックの軌跡展

【ライラックMF39】1960年 288cc
150920ライラックの軌跡展
LS38のボアアップ版

【ライラックモペットAS71】1961年 50cc
150920ライラックの軌跡展
ライラック起死回生のカギとなるはずだったのがこのAS71です。
2サイクルエンジンのスクーターで、70kgを切る車重に、プラスチックを多用したモノコック構造、前後片持ち式サスペンション、なんといってもユニットスイング式と呼ばれる、駆動ユニットがスイングアームそのものとなっているリアサスペンションは、現在多くのスクーターに採用されていますが、丸正自動車製造が初めて作ったのでした。

150920ライラックの軌跡展
実はこれ、三菱のスクーターブランド「シルバーピジョン」の「ゲールペット」として売られていました。
三菱が販売権を買い取ったのです。
しかし、三菱は売る気がなく、半年で契約を破棄してきたという悲劇の車種でした。

150920ライラックの軌跡展
このスクーターもKAKによる物らしいです。
このデザイン、構造、生まれるのが早すぎました。

【ライラックR92】1963年 493cc
150920ライラックの軌跡展
倒産したはずの丸正自動車製造ですが、あの本田宗一郎氏の支援もあり一時復活。
1962年のモーターショーで発表されたのが、水平対向2気筒エンジンを搭載したR92。写真はセルモーターを搭載した「R92S マグナムエレクトラ(1966年)」です。
輸出を考えたと思われる排気量となっていますが、結局輸出のシステムづくりで失敗し、二度とライラックが復活することはありませんでした。

【ライラックC103(非売品)】1694年 125cc
150920ライラックの軌跡展
1964年のモーターショーに出品された車両。
紆余曲折を経て、現在に至るそうです。
エンジンが劇的にコンパクトになり、フレームも刷新されていることから、開発にはこれまでとは違う人材が投入されたと思われます。
大変魅力的なバイクで、市販されなかったのは残念です。

150920ライラックの軌跡展
参考までにホンダはその頃こんなバイクを作っていました。
1964年。ホンダベンリイCB125。124.6cc


【参考】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E6%AD%A3%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E8%A3%BD%E9%80%A0
http://home.catv-yokohama.ne.jp/22/hurypapa/lilac001.htm
展覧会パンフレット(浜松市博物館)
http://www.honda.co.jp/timeline/nenpyo/1951.html
http://blogs.yahoo.co.jp/nanbu83/32297986.html
http://minkara.carview.co.jp/userid/469643/blog/22018034/
http://kawa.weblogs.jp/things/2005/03/as71.html

テーマ : バイク
ジャンル : 車・バイク

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 丸正自動車製造の創始者、伊藤正さんは本田宗一郎のもとで働いていた頃、癇癪を起した宗一郎のぶん投げたレンチを頭に受けハゲが残ったそうです。彼がホンダと袂を分かったのはそのことの私怨もあると思っています。

Re: タイトルなし

> 震電さん
そんな話が参照先に書いてありましたね。
オートバイ事業に乗り出したのは「ホンダに勝ちたい」という気持ちが少なからずあったでしょうね。
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なお

Author:なお
いいトシしてバイクの免許を取得。
相棒はDUCATI MONSTER696とHONDA solo。
バイク以外の趣味はお菓子作り。
MtXです。

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