浜松市博物館「ライラックの軌跡展」より(その2)
浜松市博物館「ライラックの軌跡展」より(その1)の続きです。
【ライラック サンキューAQ】1955年 125cc

アールズ式のフロントフォークにエンジン吊り下げ式のフレーム。スイングアーム式のリアサスペンション。
フロントのブレーキドラムの小ささがちょっと気になりますが、まだ煮詰め不足のドラゴンやランサーSWのような大きな排気量の車種と違い、小排気量車は各所に洗練が進んでいる感じがします。
【ライラックBR】1957年 175cc

AQの後継機だそうです。
プレス加工のフレームにボトムリンク式のフロントサスペンション。
【ライラック UY2】1957年 242.2cc

SYの後継にあたる車種です。
【ニューベビーライラックDP】1958年 86.7cc

ベビーライラックの後継機として登場。
「自転車よりも手軽」という謳い文句で、かつてと同じようなヒット作を期待されたが、さっぱり売れず。丸正自動車製造の経営を傾けたそうです。
ライラック初の2ストロ-クエンジンに、斬新なフレーム構造。
開発陣のがんばりが目に浮かびますが、このクラスのバイクはまだまだ荷物を運ぶことが優先とされていた時代で、ニーズに合致していなかったようです。
またこれの排気量拡大版としてEN-1、EN-2があり、なかなかに美しいバイクなのですが、こちらも時代の先を行き過ぎたようです。
デザインには工業デザイナー秋岡芳夫さん率いるKAK(キャック)が関わっていたらしいです。
他の車種にも関わっていたらしいのだけれど、どの車種にどれくらいかは不明です。
【ライラックLS38 ランサーマークV】1959年 247.2cc

ライラックは1959年に新型の縦置きV型エンジンを搭載した、LS18(247.2cc)、CS28(124cc)、そしてこのLS38を販売開始しました。
特にこのLS38はフラッグシップモデルの称号「ランサー」を冠し、ビジネスモデルではなく趣味性を高めたデザインとなっています。
恐らく、ランサーマークVのみならず、ライラックののあか抜けたカラーリングはKAKのアイデアだと思うのです。

カラーリングやデザインに、ライラックとしての独自性が高まった印象を受けます。

セルモーターも装備されていました。

ちなみにホンダはこの年、初めて「CB」の名をつけた、ベンリィ CB92 スーパースポーツ(124.67cc)を発売しました。
見た目からしてホンダらしいエンジンの精度の高さがうかがい知れるCB92ですが、ランサーマークVのデザインは現代に通じるものがあります。
この年、ホンダはマン島TTレースに初出場しています。

ちなみにエンジンの参考にしたと思われるのは、Victoria V35 Bergmeister(1953年 347cc)というドイツのバイクです。
【ライラックLS18-2】1960年 247.2cc

1961年(昭和36年)、丸正自動車製造は倒産します。
しかし、最後までモデルチェンジを続けました。
【ライラックCF40】1960年 124.6cc

【ライラックC81】1960年 124.6cc

【ライラックMF39】1960年 288cc

LS38のボアアップ版
【ライラックモペットAS71】1961年 50cc

ライラック起死回生のカギとなるはずだったのがこのAS71です。
2サイクルエンジンのスクーターで、70kgを切る車重に、プラスチックを多用したモノコック構造、前後片持ち式サスペンション、なんといってもユニットスイング式と呼ばれる、駆動ユニットがスイングアームそのものとなっているリアサスペンションは、現在多くのスクーターに採用されていますが、丸正自動車製造が初めて作ったのでした。

実はこれ、三菱のスクーターブランド「シルバーピジョン」の「ゲールペット」として売られていました。
三菱が販売権を買い取ったのです。
しかし、三菱は売る気がなく、半年で契約を破棄してきたという悲劇の車種でした。

このスクーターもKAKによる物らしいです。
このデザイン、構造、生まれるのが早すぎました。
【ライラックR92】1963年 493cc

倒産したはずの丸正自動車製造ですが、あの本田宗一郎氏の支援もあり一時復活。
1962年のモーターショーで発表されたのが、水平対向2気筒エンジンを搭載したR92。写真はセルモーターを搭載した「R92S マグナムエレクトラ(1966年)」です。
輸出を考えたと思われる排気量となっていますが、結局輸出のシステムづくりで失敗し、二度とライラックが復活することはありませんでした。
【ライラックC103(非売品)】1694年 125cc

1964年のモーターショーに出品された車両。
紆余曲折を経て、現在に至るそうです。
エンジンが劇的にコンパクトになり、フレームも刷新されていることから、開発にはこれまでとは違う人材が投入されたと思われます。
大変魅力的なバイクで、市販されなかったのは残念です。

参考までにホンダはその頃こんなバイクを作っていました。
1964年。ホンダベンリイCB125。124.6cc
【参考】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E6%AD%A3%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E8%A3%BD%E9%80%A0
http://home.catv-yokohama.ne.jp/22/hurypapa/lilac001.htm
展覧会パンフレット(浜松市博物館)
http://www.honda.co.jp/timeline/nenpyo/1951.html
http://blogs.yahoo.co.jp/nanbu83/32297986.html
http://minkara.carview.co.jp/userid/469643/blog/22018034/
http://kawa.weblogs.jp/things/2005/03/as71.html
【ライラック サンキューAQ】1955年 125cc

アールズ式のフロントフォークにエンジン吊り下げ式のフレーム。スイングアーム式のリアサスペンション。
フロントのブレーキドラムの小ささがちょっと気になりますが、まだ煮詰め不足のドラゴンやランサーSWのような大きな排気量の車種と違い、小排気量車は各所に洗練が進んでいる感じがします。
【ライラックBR】1957年 175cc

AQの後継機だそうです。
プレス加工のフレームにボトムリンク式のフロントサスペンション。
【ライラック UY2】1957年 242.2cc

SYの後継にあたる車種です。
【ニューベビーライラックDP】1958年 86.7cc

ベビーライラックの後継機として登場。
「自転車よりも手軽」という謳い文句で、かつてと同じようなヒット作を期待されたが、さっぱり売れず。丸正自動車製造の経営を傾けたそうです。
ライラック初の2ストロ-クエンジンに、斬新なフレーム構造。
開発陣のがんばりが目に浮かびますが、このクラスのバイクはまだまだ荷物を運ぶことが優先とされていた時代で、ニーズに合致していなかったようです。
またこれの排気量拡大版としてEN-1、EN-2があり、なかなかに美しいバイクなのですが、こちらも時代の先を行き過ぎたようです。
デザインには工業デザイナー秋岡芳夫さん率いるKAK(キャック)が関わっていたらしいです。
他の車種にも関わっていたらしいのだけれど、どの車種にどれくらいかは不明です。
【ライラックLS38 ランサーマークV】1959年 247.2cc

ライラックは1959年に新型の縦置きV型エンジンを搭載した、LS18(247.2cc)、CS28(124cc)、そしてこのLS38を販売開始しました。
特にこのLS38はフラッグシップモデルの称号「ランサー」を冠し、ビジネスモデルではなく趣味性を高めたデザインとなっています。
恐らく、ランサーマークVのみならず、ライラックののあか抜けたカラーリングはKAKのアイデアだと思うのです。

カラーリングやデザインに、ライラックとしての独自性が高まった印象を受けます。

セルモーターも装備されていました。

ちなみにホンダはこの年、初めて「CB」の名をつけた、ベンリィ CB92 スーパースポーツ(124.67cc)を発売しました。
見た目からしてホンダらしいエンジンの精度の高さがうかがい知れるCB92ですが、ランサーマークVのデザインは現代に通じるものがあります。
この年、ホンダはマン島TTレースに初出場しています。

ちなみにエンジンの参考にしたと思われるのは、Victoria V35 Bergmeister(1953年 347cc)というドイツのバイクです。
【ライラックLS18-2】1960年 247.2cc

1961年(昭和36年)、丸正自動車製造は倒産します。
しかし、最後までモデルチェンジを続けました。
【ライラックCF40】1960年 124.6cc

【ライラックC81】1960年 124.6cc

【ライラックMF39】1960年 288cc

LS38のボアアップ版
【ライラックモペットAS71】1961年 50cc

ライラック起死回生のカギとなるはずだったのがこのAS71です。
2サイクルエンジンのスクーターで、70kgを切る車重に、プラスチックを多用したモノコック構造、前後片持ち式サスペンション、なんといってもユニットスイング式と呼ばれる、駆動ユニットがスイングアームそのものとなっているリアサスペンションは、現在多くのスクーターに採用されていますが、丸正自動車製造が初めて作ったのでした。

実はこれ、三菱のスクーターブランド「シルバーピジョン」の「ゲールペット」として売られていました。
三菱が販売権を買い取ったのです。
しかし、三菱は売る気がなく、半年で契約を破棄してきたという悲劇の車種でした。

このスクーターもKAKによる物らしいです。
このデザイン、構造、生まれるのが早すぎました。
【ライラックR92】1963年 493cc

倒産したはずの丸正自動車製造ですが、あの本田宗一郎氏の支援もあり一時復活。
1962年のモーターショーで発表されたのが、水平対向2気筒エンジンを搭載したR92。写真はセルモーターを搭載した「R92S マグナムエレクトラ(1966年)」です。
輸出を考えたと思われる排気量となっていますが、結局輸出のシステムづくりで失敗し、二度とライラックが復活することはありませんでした。
【ライラックC103(非売品)】1694年 125cc

1964年のモーターショーに出品された車両。
紆余曲折を経て、現在に至るそうです。
エンジンが劇的にコンパクトになり、フレームも刷新されていることから、開発にはこれまでとは違う人材が投入されたと思われます。
大変魅力的なバイクで、市販されなかったのは残念です。

参考までにホンダはその頃こんなバイクを作っていました。
1964年。ホンダベンリイCB125。124.6cc
【参考】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E6%AD%A3%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E8%A3%BD%E9%80%A0
http://home.catv-yokohama.ne.jp/22/hurypapa/lilac001.htm
展覧会パンフレット(浜松市博物館)
http://www.honda.co.jp/timeline/nenpyo/1951.html
http://blogs.yahoo.co.jp/nanbu83/32297986.html
http://minkara.carview.co.jp/userid/469643/blog/22018034/
http://kawa.weblogs.jp/things/2005/03/as71.html