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日本におけるミュージシャンの「サービス」とは

岡崎体育さんのファンクラブ騒動とか、この前の「鍵」の話などもあり、ミュージシャンがリスナーやファンに提供しているものって何だろう?と考えています。
意外なところで、同じことをゴールデン・ボンバーの鬼龍院氏が考えられていて共感しました。

「『CDが売れない時代』に、金爆・鬼龍院翔が問いかけること」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54251
「人々は『音楽を好き』と言いたがるし、『音楽を趣味』と言いたがるし、自分の好きな音楽をプロフィールに書きたがる。人々が持っている音楽への憧れって一体なんだろう?という。」

「『音楽は宗教である』と、僕はずっと言ってるんですけど。」

「もっとありふれた言葉でいうと『メタ視点』っていうものだと思うんです。物事を引いた目で見るという。」

「僕は音楽に関して、みんなが情熱を持って信じ込むところを醒めた目で見るようになってしまっているから、そういうことをやれるんでしょうね。」


鬼龍院氏が仰ることにとても納得する私です。
「音楽」が好きなのではなくて、特定のアーティストかジャンルを信仰しているだけなのでは?という人をよく見かけます。
それはそれで悪いことでもなんでもないのに、それを指摘すると抵抗感を示す人がいます。いやほとんどの人がそうだと言って良いでしょう。

このことについて、私は「自分は自分であり、なにかに頼ってなんかいない」というプライドが、人間にはあるからだろうと私は考えています。

人はほとんど無意識で行動していると私は考えているのですが、それを指摘すると、やはり上記と同じように抵抗感を持たれることが多いのです。
「自分は自分であり、全ての行動は自分で判断している」と人は信じたいようです。
たとえば、選挙でテレビタレント候補が当選するのは「有権者の多くが無意識で既に意識の底に刷り込まれた対象を選ぶから」と言うと、ものすごく否定されるのです。不思議なことに。


これらは人々が「自分が自分でないことが怖い」と考えていると言い換えることができます。
ここから考えるに、「“アイデンティティ=自分”という神」が現代の人の信仰であると、私は考えます。
そして、その「自分と言う神」を支えるものが、音楽と言う名前に化けた特定のアーティストやジャンルなのではないかと思うのです。

「人は17歳のときに聞いた曲を一生聞き続ける」
SONYウォークマンのキャッチコピー


自分が自我を確立する年頃に、特定のアーティストやジャンルを「“アイデンティティ=自分”という神」の一部とすることで、人は生きているのだと思います。

実は音楽の快楽はそのきっかけになっただけで。
卵から生まれたひな鳥がはじめて見たものを親だと思い込んだようなもので。

なので信仰する特定のアーティストなりジャンルを変更することは難しいわけですが、自分は自分のはずだ。なにかに心を委ねている自分はかっこわるい。そこは絶対認めたくない。
その結果として「音楽」というある意味曖昧な趣味カテゴリーでくくっているのではないかと。

本当に音楽を楽しもうとすると、高いスキルと教養が必要とされます。
感じるだけならいくらでも楽しめますが、他人をコミュニケーションをとろうとすると、という面で。
前回もお話しましたが(鍵と錠の話)、リスナーまでがそれと真正面と向かい合うジャンルがクラシックとジャズであり、だから敷居が高いわけです。

つまるところ、日本のミュージシャンがリスナーに提供していることって、実は音楽そのものもありますが、それ以上に「その人の神となること」「その人の一部になること」なのではないでしょうか。
それを欲しているのは若い子たちです。


そんなふうに思えます。
なので日本のアマチュア音楽のメインストリームに、実績を持っていない年寄りはお呼びではないわけです。

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

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なお

Author:なお
いいトシしてバイクの免許を取得。
相棒はDUCATI MONSTER696とHONDA solo。
バイク以外の趣味はお菓子作り。
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