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「天才」とメンタルトレーニングの罠

高校の吹奏楽部を描いたアニメ作品「響けユーフォニアム2」で、主人公が毎朝一番早くやってきて練習している先輩に「練習が好きなんですね」と問う。
すると先輩は「わからない」と答えるのだ。

私は、なんとなくその先輩の言葉に納得できた。

おそらくその先輩が練習している理由はただの習慣だ。好きでも嫌いでもない。
練習と言うものは、日常の習慣にしないと効果が無い。

練習が嫌いという人は、そもそもその競技や演技が好きではないのだ。
「この練習を続けることで目標とするパフォーマンスを修得できる可能性が高まる」と考えていれば、練習を嫌いになるはずは無いからだ。
練習が嫌いという人で多いのは、その競技や演技が好きなのではなく、なんとなく「成功した自分」になりたいだけの人だ。

そして実は「好き」というのも諸刃の剣であると、メンタルトレーニングに関して調べて、そう考えるようになった。
「好き」が成功を望むことに繋がると、成功を願いすぎるあまり、本番で本調子を出せなくなったりする。
練習に依存しすぎて目標を見失うこともある。いわゆる手段と目的が入れ替わるというもの。
だから練習は、ただの習慣であるのがよろしい、と思う。

巷によくあるメンタルトレーニングでは「ポジティブ」や「自己肯定感」という単語が繰り返し出てくる気がするが、無闇やたらなポジティブや自己肯定に基づくメンタルは競技や演技に臨むに際して危険なものだと思う。
動作や認知にバイアスをかけるし、失敗したときにどうしても心が傷つく。

そもそも、「自己肯定感」という「根拠の無い自信」は存在しないらしい。自信の根拠はちゃんとあって、それは幼いときの環境らしい。
それは自分ではどうしようもできない。だからそれを持っている人は他人が何でそれを持てないのか理解できないし、持ってない人は生涯手に入れることはできない。
持っていない人もそれを持とう、というのが間違いであり無理なのだ。

そして自信とは何か?
心理学だと、人間は自分の評価を実際よりも高く見積もっているそうだ。そうしないと生きていけない惨めな生き物だ。
つまり自信とは客観よりも高い自己評価だ。
であるなら“自信が自分を高める上で邪魔になる”ことは容易に想像できる。


「森川(陽太郎)さんも言っていましたが無理に自分をポジティブの方向に持っていくのは僕も良くない気がします。」
錦織圭さん
http://blog.keinishikori.com/2014/07/post-228.html




実際のところ、メンタルトレーニングと言っても、あまり学術的に積み上げられたものではないらしい。
なんとなく心理学の理論にこじつけて、それっぽい人が言っているだけのように思える。
だから、こういう意見も普通に見られる。


「『負けず嫌い』と『自己肯定感』はスポーツ選手に必要な要素」
http://www.idear.co.jp/mental-column/sports/athletes-need-element

これをもっていないと「絶対に金メダルを取ることはありません」だそうだが、その根拠はどこにも書いていない。
もっともらしいことが書いてあるけど、本質的にはただの根性論で、なんの役にも立たない文章だと思う。

確かに根拠の無い自信にあふれた人は多いだろう。しかし、私は金メダリストに近い人ほど私が考えるようなある意味の「諦観」を持つ人が少なからずいるだろうと思う。
インタビューとかの対外的態度は別として。社会がパフォーマーにそういう姿勢を望んでいるから、それだけのことだ。

「別に負けてもいい」「どうせ自分が勝てるわけない」と思っている人の方がのびのびパフォーマンスできる、というほうが道理だ。
そんなことを言いつつ、本番でガチガチになるならやっぱり勝ちたいという欲が心の底にあるのだし、それが人間として自然だ。
だからこそ、金メダルを狙える位置で、本気で「別に負けてもいい」「どうせ自分が勝てるわけない」と思える者こそが本当に勝てる人間で、そういう人が「天才」と呼ばれるのだろう。


「俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと・やったことがすべてやねん。」
明石家さんまさん
https://grapefruitmoon.info/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%AE%B6%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE.html



フローだのゾーンだといっても、日常でやっていること以上のパフォーマンスはできないのである。
目的とするパフォーマンスを日常で無意識にやっていることと変わらない運動へ持っていくのが練習という習慣であり、それには膨大な時間がかかる。
その実現のために、メンタルの浮き沈みが無く、1回1回の練習に自分なりの目標や意義を考察し、認知バイアスに影響されずに評価し、実感しつつ、淡々と続ける人が上手くなる。

そして淡々と続ける人が目標としているのは競技における順位(金メダルとか)といった社会的成果ではなく、その社会的成果を得るために必要なパフォーマンスの成功率を獲得することなのだと思う。

おそらく天才と呼ばれる人たちは、素養や環境に恵まれているだけでなく、若いときにそれに気づいて淡々と練習をこなしてきた人たちだ。
そういう人たちは栄光と言う名の社会的成果に興味がないように見えるし、やる気すら薄く感じるので、他人には努力していないように見えたり、理解不能だと考えるのだと思う。
理解できないので人は「天才」という言葉で片付けるのだ。

ただ、この「淡々と」というのも才能らしい。
カッコだけ淡々にやっているだけでは効果が出ないと、為末大さんが講演で仰っていた。
それが最大の「持っている」かどうかの境目なのだと思う。

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

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なお

Author:なお
いいトシしてバイクの免許を取得。
相棒はDUCATI MONSTER696とHONDA solo。
バイク以外の趣味はお菓子作り。
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