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「多様性」という言葉の甘い罠

■「男の子だってお姫様になれる」 男らしさ・女らしさを問い直すプリキュアに「神回」と称賛の声
(キャリコネ - 06月11日 15:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5150534

「旧来の『男らしさ』や『女らしさ』に疑問を投げかけ、多様性を認めようとする放送内容に、ネットでは『神回』と称賛の声が相次いだ。」
とあるのだが、これは「多様性を認めようとする放送内容」とは違うだろう。
真に多様性を謳うならば、「旧来の男らしさ・女らしさ」を維持しようとする人も尊重せねばならないのではないか。
この記事は、多様性を賛美しようとしているが、実は否定しているのだと思う。
(プリキュアでは一言も「多様性」なんて言っていないことに注目)

多様性とは絶対に同意できない意見の人を認める、ということだ。
そういう隣人と一緒に暮らすのであれば、意見の対立時にお互いが、大事なものを捨てる必要が出てくる。
それができないなら争いになる。
わかりやすいところで、パレスチナとイスラエルだ。

最近、どうもこの「多様性」という言葉が、そのネガティブな面を認識されずに、万能の神のように使われているような気がする。
文明とは洗練されていくもので、洗練とは多様性を排除していくことだ。
極論で言えば野生が多様性の頂点の状態だ。

いろんな人がいるし、そしてそれを認めることが重要だ。
それは正しい。
しかし、社会規模で考えれば、それがふさわしくないこともあるし、真の多様性社会を作り出すなら、どんな隣人の存在を大きな心で許さなければいけない。
なにより意見の調整が超高コストだ。

多様性、ほんとにそんな素晴らしいですか?
そして、そんな社会は本当に維持できるのですか?
本当にお互いのために公平に富を分配できるのですか?
あなたは、意見の合わない隣人のために、大事なものを捨てられますか?

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なお

Author:なお
いいトシしてバイクの免許を取得。
相棒はDUCATI MONSTER696とHONDA solo。
バイク以外の趣味はお菓子作り。
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